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    私と東宝撮影所      
大プール。
私の遊び場の一つが東宝撮影所だった。
成城近辺をご存じの方なら憶えていらっしゃると思うが、東宝には表門と裏門が有った。
当時、世田谷通りは今の様な広い直線道路では無く、蛇が通った後の様に曲がりくねっていた。
いまも表門は同じ位置にあるが、その前を通る細い道が当時の世田谷通りだ。
そして裏門は成城からの坂の下にあった。つまり盆地で仙川を巻き込んでいた。

撮影のある日は毎日の様に学校が終わると自転車に乗って撮影所に通った。
坂道を自転車で駆け下り、そのまま裏門を大きな顔をして、手を挙げて通り過ぎるのである。これが特権意識という物だったのだろう。
そのまま衣装部さんの前に自転車を置き、大プールへ直行するのだ。
前記した様に仙川が流れているので水には苦労しなかった様だ。

其処にはあらゆる戦艦が停泊していた。
大和、陸奥、武蔵、飛龍、等。
特撮のスタッフが忙しく働いている。
何がどうなっているのかまったく解らないが大きな戦艦達は動こうとはしない。
十分、二十分、と時が過ぎていく。
それでも楽しいのだ、この場に居られる事が最高の時間なのだ。
そして、“さー、やって見ようか?”の声が掛かると何故かこっちまで緊張するのだ。
それぞれの戦艦がピアノ線で繋がれており、円谷英二監督の掛け声と共にそれぞれの軍艦が大プールを凄い迫力で進み始めるのである。

なぜか大プールには魚が居た。それも金魚だった。
大プールの奥には江戸(?)の街、新宿の繁華街、そして銀座のオープンセットが組まれていた。
その一番奥に色々な形の大道具が置いてあり、外へ出る通用門(私の記憶では小さな関所の様な門だったと記憶している)が有った。この道は千川の横にあり、ゆかり幼稚園と続いていた。そこから子供達が出入りも出来たのだろう、お祭りで取った金魚すくいの金魚を放したのだろう。
不思議な物で大プールはホリゾントが無いのと有るのとではその大きさを変えたのである。
当然と言えば当然の事。撮影のセットである以上、変身するのだが、どんなに大きなセットでも此処までは不可能だ!と思える位だった。
美しい青空の下、夏の雲が広がるすばらしいホリゾントが大プールを海に変え、水平線が現れるのだ。
大プールの3辺は同じ高さであるがホリゾントの有る一辺だけは他に比べて低いのである。
これは水平線を作る為だ。

つまり、水を溢れさせてホリゾントと一体化させるのだ。

そうなると戦艦がやたら小さく見えてくるのだ。
この現象を逆手に取り、日本海軍の総力が集結した様に船団を組んで進む姿は太平洋のど真ん中!と言った大迫力だった。

短い午後の一時を夢の世界で過ごすのは最高の時間であった。
2007年7月18日
本多 隆司