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無冠の巨匠 本多猪四郎(第十四回)

■ゴジラが振り向くとき

 しかし、八〇年代に入り、ゴジラは復活した。かつての本多作品を観て育ったファンもターゲットにし、再び大人も観られるエンターテインメントを目指して。だが、肝心の本多さんに監督依頼は一切なかったそうだ。
「クロさんに頼まれて作品を手伝うようになってからも、やっぱり自分の作品を作りたくないかって言ったらそれは嘘ですよ」
 しかし、奥さんは、こう続ける。
「私が五年ほど前にハリウッドに行った時に、あるプロデューサーからアメリカでゴジラ作れたら本多監督は来てくれるかって言われたことがあるんですよ。『でもそういうことはなかなか難しいですよ。版権を東宝が持ってるから』なんて話したことがあるのね」
 それをひとつの契機として、本多さんはゴジラに対するふんぎりをつけたという。
「もう絶対、どんなことがあってもゴジラをやるのはよそうと。もしそういうチャンスがあってもね。予算や日数があまりかけられずに、しかもかつての核に代わるテーマが出て来ない以上、他人様がやる分にはあれだけれども、自分ではやめようと」
 そして本多さんは、黒沢明監督と共に現場に出続ける、日本映画の生きた歴史としてマスコミに注目される。
 「ゴジラへのふんぎりがついて、やっぱりとても楽しかったと思いますね。黒沢組で、大好きな大好きな、映画を大好きな友達と最後の数年間を過ごして……十年間近く戦場にいて命拾って帰ってきて、それで、たとえ出遅れても何でもね、大好きな大好きな映画を死ぬまでやってこられた。何にもまして幸せだと思います」
 本多さんは、平成五年、黒沢作品『まあだだよ』の打ち上げが終わった数日後に永眠した。
 「戦争」という概念すら遠のいた今の日本にゴジラを送り込む必然性。それがなくなったと感じたとき、本多監督はあえてゴジラに手をつけなかった。
 だが、本多監督の作品は時代を超えて今も輝きを失っていない。それは、本多作品全体を貫く物語構造が、近代人の「罪と良心」、そして男女の葛藤をもっとも核心的に描くための基本中の基本だからだ。高山由紀子さんはこう語る。
「それこそシェイクスピアやゲーテからずっとある近代悲劇の要素ですよね。根底にあるのはものすごく古典的なものなんです。『ブレードランナー』なんかもそうでしょ。SFもの、モンスターものっていうのは、人間じゃないものが絡められるから、観念的な話をじかに問うことができる。額縁の中に収めたような芝居が美しく決まるんです」
 それほど普遍的なものだからこそ、本多作品は海の向こうの子どもたちをも魅了した。そして大人になったティム・バートンたちは、本多監督の語った<物語>をふまえ、そこに自分なりの<ゴジラ>を込めた。
 ここ数年、何度目かのゴジラ・ブームが続いている。ゴジラによる東宝の収益は、キャラクター商品の版権料だけで、十億に迫る勢いだ。しかし、かつて本多さんの契約を切った東宝は、近年、いくらゴジラがブームになっても、ついに彼を現場に呼び戻さなかった。だが、人間の暗さ、暴力、哀しみの具象化としてゴジラの<キャラクター>を初めて作り上げたのは、本多監督なのだ。
 今、ゴジラ映画は、言葉だけのエコロジー思想を振りかざし、物語の中の誰の気持ちも反映しない怪獣に誰もいないモダンなビル街を破壊させ続けている。その繰り返しは、大げさに言えば都市を再開発し続ける日本社会の経済行為と同質な、空疎なものでしかない。
 高山さんは『メカゴジラの逆襲』の現場を訪ねたとき、本多監督と、怪獣映画の演出についてこんな話をしたそうだ。
 「七〇年代以降、映画がやたらテンポテンポって言われるようになって、今に至る風潮がもう始まっていたんです。ゆったりした映画は映画じゃないっていう空気。本多さんは、その風潮にすごく抵抗があるとおっしゃっていました。怪獣映画の怖さっていうのは、いわゆる『テンポ』ではないんだと。ただパッパッと見せていくだけじゃだめで、ゴジラが動いてパッと振り向く時の、あの間合いなんだって、自分でゴジラが振りかえるアクションを真似するんです。その時の本多監督の仕草は、今でも忘れられません」


(本稿は増補して再発売する予定――筆者)

切通理作

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