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無冠の巨匠 本多猪四郎(第十一回)

■美女とガス人間

 「主人の映画では、『地球防衛軍』みたいな勇ましいのは良く分かりませんでしたけど、『ラドン』なんかは奇麗で好きです。炎に焼かれた雌を救いに、雄が戻っていって一緒に死んでいくでしょ。最後の場面は涙が出ました。あと、『ガス人間第一号』は好きでしたね。あのラストは、人間の理想っていう感じで」奥さんは遠い目をしてそう語った。
 <ゆきはぐれた者>の心と、怪物性とをより直接に結びつけた<変身人間シリーズ>の一本『ガス人間第一号』(60年)は、本多SFの中でも特に男女の関係を中心に描いたものだ。本多監督は、科学実験で気体化した人間という未来的な設定と、古典芸能の美に生きる女性のドラマを交差させて描く。
 ヒロインは日本舞踊の没落した家元・藤千代。八千草薫演じる彼女は、もう若くないのに、いつまでも少女の様に見える。
「君の踊りを世間に認めさせてやるんだ」
 彼女に憧れ、資金援助をし続けるのが、タイトルロールのガス人間・水野である。水野は貧乏で大学に行けず、高卒で航空自衛隊に入ろうとしたが体格が貧弱なためパイロットの検査にはねられた。地味な図書館司書として青春を埋もれさせていく日々のなかで、彼は安い金につられて、ある科学者のモルモットにされてしまい、身体をガス状にできるようになる。自分の肉体という呪縛から解放された彼は、その力を利用して強盗殺人をした金を藤千代に貢ぐ。自己実現に挫折して社会全体を憎む水野は『ゴジラ』の芹沢よりも雄弁で、確信犯的だ。ガス人間に注目するマスコミを通じて、いるのにいないことにされている人間の悔しさを堂々と語って憚らない。
 彼の姿は、自分の気持ちを全く語らない藤千代と対比的に描かれる。滅んでいく伝統とともに生きるしかない、時に忘れられた美女。藤千代は彼の金を黙って受け取る。ラスト、警察の罠と知りつつ、日本舞踊の公演に現れたガス人間。「情鬼」の舞を踊る藤千代はライターで火をつけ、ガス人間と一緒に自爆する。だが、本多演出は藤千代がガス人間を愛していたのかどうか最後まで明かさないのだ。
 水野を演じた土屋嘉男は怪獣映画の常連だが『地球防衛軍』で、ヘルメットに隠されて顔の見えない宇宙人の役を自ら志望するなど、本多作品の理解者の一人である。彼はインタビューに応えて、藤千代も水野を愛しているという解釈いで演じたと言っている。水野自身はそう信じていたのだから、俳優としてその演技は当然だよと認める本多監督は、だが、本当は藤千代が死を選んだのは水野への愛ではなく、そうするしかなかった運命だったのだと語っている。
 本多作品の心中は、愛するが故の心中ではない。時代にゆきはぐれた者どうしの「悲しみ」への殉死なのだ。だが、愛の成就としての心中よりも、そんな死のほうにエロティシズムを感じてしまうのはなぜだろう。

■青い真珠

 こうした物語は、怪獣映画やSF映画だけにみられるのではない。自らの零戦を操る腕だけを頼む鬼隊長が周囲から孤立し、気持ちを告げられなかった従軍看護婦の乗る避難船を守るため海に散っていく『さらばラバウル』(54)のような戦争映画にも、それは通じているし、自身のシナリオによる監督デビュー作『青い真珠』(51)からすでに、その語ることはひとつなのだ。
 『青い真珠』は、日本映画で初めて、水中撮影のカメラを駆使した海底シーンをドラマに組み込んで一つの見せ場とした、いわゆる「海女もの」だが、その物語は、ほとんど女版「ゴジラ」と言っていいほど、共通するところが多い。そもそも『青い真珠』は、『ゴジラ』に登場する大戸島のロケ地と同じ伊勢志摩でロケしている。
 太平洋岸の孤島にある灯台に赴任した若者・西田(池部良)は、野性的な美女・野枝(島崎雪子)に惹かれていく。海女である彼女の自在に泳ぐ姿を西田はイルカと見間違うほどだ。
 島の沿岸の底には大日井戸という陥没地帯があり、底には、それを拾ってくると愛する人と結ばれるという「恋の真珠」があると伝えられている。だが大日井戸は遠い昔、島の守り神である「龍神様」に背き、他所者と一緒になろうとした娘が死んだ場所でもあるのだ。このように島では、時化が続くと娘を生贄に捧げたという、あの大戸島の呉滋羅(ゴジラ)伝説と同じような民間伝承が信じられている。『ゴジラ』と同じように、「龍神様」を崇める神楽のシーンまである。
 西田は野枝と相思相愛になる。絵を描くのが好きな西田に「私を描いて……先生の絵になりたい」と言って頬を染める野枝。西田は「龍神様」の伝説を打ち破り、野枝と一緒になろうとする。
 そんな島にも、都会に憧れて海女をやめ、再び戻ってきたリウ(浜田百合子)という女がいる。島の掟を破り、忌み嫌われるリウもまた、西田が好きだった。野枝とリウは大日井戸で真珠を取り合い、もみ合ううちに、リウが激流に呑まれてしまう。仲間の海女によって命綱が引っ張られるが、それは途中から切れていた(これもまた『ゴジラ』で芹沢の命綱が切れていたのと同じである)。
 リウの死の噂は島じゅうに広まる。西田は野枝に、一緒にこの島を出ようと誘う。西田の愛に幸せを感じながらも、野枝は「これでいいのだろうか」と海を見つめる。死んだリウの呼び声がする。野枝はそれに応え、海に身を投げる。
 結局、野枝は島の時間から「近代」の時間に飛び越えることができなかった。だが、それも彼女の意志なのだ。
 その頃、彼女を呑みこんだ海を、西田は灯台の灯室から見ていた。西田は野枝の運命も知らずに、彼女のことを思いながらキラキラ光る海を見つめる。映画はそこで終わる。

切通理作

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