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本多猪四郎監督エッセイ

ムービー(活動写真)夜話

「ごもく映画通信」Vol.6(1991年4月)より


  映画は青春である。この言葉は何時の時代でも変わらない真実である。去る2月21日東京パレスホテルで、9年振りにメガホンを取る、今井正監督を励ます会のパーティーが催された。1912年1月8日生まれ、79才。今井監督の最もポピュラーな作品は、『青い山脈』『また逢う日まで』が代表する青春映画である。そして今度撮る映画も『戦争と青春』という題名である。そして私の云う、「映画は青春である」という意味は、題名や内容が青春を取り扱っているという意味ではない。映画は作者の年令には関係なく、作者の精神が如何にその対象(作品)に対して、新鮮で瑞々しいかに尽きる、という意味である。
 さて、映画製作現場の監督は大変な肉体労働が要求される。年令は大きなハンディーキャップだ。ロケ地を決める為、どれ程飛行機に乗り、列車を乗り継ぎ、自動車に揺られ、山野、海岸を歩き回らなければならないか! そして撮影が始まればキャメラ・ポジションを決める為に、セットの中を動物園の白熊のように行ったり来たり、猿のように高い処へ登ったり降りたり、現場の映画監督は精神的にも肉体的にも重労働者である。こうしなければ監督のイメージは、フィルムの上に、ひいてはスタッフの上に定着し、観客の胸に強く語りかけることは出来ない。
 さて、かく云う私は1911年5月生まれの79才で、今井監督より約半年早生まれの同年である。盟友黒澤明監督は1年上の1910年3月生まれ、80才である。3人は助監督時代を東宝で過ごしている。今でもプライベートでは黒さん、正ちゃん、猪(イノ)さんと呼び合う仲である。
 5月封切予定の黒澤作品『八月の狂詩曲』撮影中、黒さんと、「お互いに年取ったな、肉体的には2人足してやっと一人前かな」と笑い合った。しかし精神的には助監督時代の青春と少しも変わりはない。それは映画が在り、映画が好きな以上、どうにもならない宿命とも業ともいうことだろう。映画は不思議な魔物である。何十年映画製作に身を没し、何十本映画を撮っても、これで良しという結論は決して出ない。映画は誰にでも造れるという性質を持っていながら、誰にでも造れる程生易しいものではない。それが映画である。不思議な魔物であり、素晴らしい文化である。だからこそ映画はいつまでも青春であり続ける。
 我等が青春時代、黒澤明が第1回作品『姿三四郎』を撮ったのが21才、昭和18年(1943年)。この年今井正は、『望楼の決死隊』という朝鮮ロケを主体とした第7作目の作品を撮っている。そして私は昭和10年からの軍隊生活が現役召集と繰り返し約8年。終戦翌年3月に中国大陸から生還。再び東宝の助監督から出発した。三人三様の監督への道程である。
 私にとってのこの長い回り道の間、私を支え続けたものは何時も変わらぬ映画への憧れ、情熱、ただただ映画が好きという本能(!!)の様な力、エネルギーにほかならない。
 80才を超えての青春、それが映画なのだ。
 
 五目飯。時にはチョッピリ干し椎茸のにほいもいいのではないかと思った次第です。

 
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