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本多猪四郎監督エッセイ

勝算なき戦い

「映画ファン」昭和28年12月号"「太平洋の鷲」を描く人々の抱負"より


  私も戦争は嫌いです。二度と戦争はしたくありません。
が……今静かに考えて見ますとこの地球上から将来絶対戦争は無くなると云いきれる明るい見透しは立たない様です。
悲しい事です、よく平和平和と云われて居ります。處(ところ)がこの平和もよく東西二つの平和と云われます、どちらの平和が正しいのか?
 東で云う平和は西では平和でないと云うし、西で云う平和は東では平和でないと云う、どちらか一方の考え通りにするためには戦争はさけられないと云う悲しい事です。これはどうしてもさけられない永遠の人間の悲劇なのでしょうか?

 何とか幾百万の人間が苦しまなければならない戦争だけはさけたいものです。これからの私達は一人一人がよく考えて政治にこの国民の考えが反映する様にしなければならないと思います。

 太平洋戦争でも一人一人では戦争は嫌で嫌で仕様のなかった人は非常に多かったと思います。私も嫌で嫌で仕様がなかったのですがそんなことは自分一人の胸の中に押し包んで「戦争なんかで死ぬもんか」と自らを慰めて召集令が来る度に出て行きました。どうしてそんな塵紙みたいな赤紙が一個の人間の生命まで自由にひきずり廻す事が出来るのだ。何故自分はこの紙きれを破りすてる事が出来ないのだろうかと考えながら。
 戦後、当時の最も重要な地位にあった職業軍人と云われる人々の中にすら戦争に反対した人々は多くあった事を知りました。その第一が山本五十六大将です。刺客につけ狙われながら絶対大戦争になると見通した日独伊三国同盟に反対しつづけ、日米戦争は一つも勝算はないと叫びつづけた。しかし国民はそんな意見が軍部の中にあると云う事は一つも知らされていませんでした。
 遂に日米開戦と決定した事を聞かされた山本さんはまったく傍らの人が見るのも気の毒な程がっかりしていたそうです。当時としては一端廟議で決定した以上どうする事も出来なかったのでしょう。悲しい事です、山本さんは当時の心境を最もよく現した手紙を親友に書き送っています。個人としての意見と正確に正反対の決意を固めその方向に一途邁進の外なき現在の立場は誠に変なものです、これも運命というものか、
 ハワイへ進撃しながらも「百年兵を育てたのはただただ平和を守らんがため」と云って一縷に日米交渉の成立に希望を托しています。そして、戦争中はどうにかして日本の有利のうちに切り上げたいと願いながら流れ流れてラバウルの上空で戦死されました。

 私は戦争は嫌です。日本の国民が再び悲惨な戦争にまきこまれる様な悲劇の起こらぬ様念願しつつこの作品を作ります。

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