声


本多監督略年譜、昭和24・25年に関して(東京都 鈴木宣孝様)

 私は過日「ゴジラのトランク展」で本多隆司さんにご挨拶させていただきました鈴木宣孝と申します。30年程前に私が「緯度0大作戦」の同人誌を編集した時に、本多猪四郎監督のご自宅へご多忙のところを何回かお邪魔させていただき、色々なお話を聞かせていただきました。
 その節は監督に大変お世話になりました。またその時に伺った色々なお話は、近年デアゴスティーニから発売された「東宝特撮映画DVDコレクション」のブックレットや、ヴィレッジブックスの「東宝特撮映画大全集」に原稿を執筆した際にも大変助けになりました。改めてお礼申し上げます。
 そうした経緯もあり、私は本多監督のお仕事の詳細について個人的にこつこつと少しづつですが調べ物を続けております。その結果、公式サイトに掲載されている年譜について、特に昭和24年〜25年の部分がかなり実態と違っているようなので、現段階で判明している点を以下お伝えする次第です。

 まず昭和24年2月に公開された「風の子」ですが、撮影は昭和23年9月から能登半島ロケを10月上旬まで行い、その後太泉スタヂオでセット撮影をしておりますので、恐らくは同23年中に完成したと思われます。
 したがって、昭和24年はまず1月頃〜3月頃に「春の戯れ」につき、4月初めに「春の戯れ」が完成し、4月〜6月に「国立公園 伊勢志摩」を演出、7月初めに「国立公園 伊勢志摩」が完成、そして7月〜9月は太泉スタヂオで「野良犬」の監督助手をつとめ、10月初めに「野良犬」が完成、その後は「歌うまぼろし御殿」(監督・小田基義/太泉映画、R.Kプロ提携作品)の演出補佐につき、12月末に「歌うまぼろし御殿」が完成。
 昭和25年は頭から「脱獄」の演出補佐につき、2月下旬もしくは3月初めに「脱獄」が完成。その後は東宝で初演出作品になるはずだった「新聞小僧」の準備に入ったようですが、これは結局製作されませんでした。そして正確な撮影時期は不明ですが文化映画第2作「砂に咲く花」(脚本演出・本多猪四郎/東宝教育映画)に着手、10月6日に完成しました。

 過去の本多監督の経歴や年譜で「生活協同組合」とされていた作品は、正しくは「砂に咲く花」という題名です。これについては、完成台本で題名と完成日(10月6日)が確認できます。映倫審査記録についても確認し、「生活協同組合」や「共同組合の話」といった題名の作品は審査記録にありませんでした。その一方で「砂に咲く花」は10月18日から11月16日の間に映倫で審査を受けたという記録が残っています(映倫番号 E-104)。
 また、過去の年譜で漏れていた「歌うまぼろし御殿」に関しては、台本とプレスシートで演出補佐としてクレジットされています。(但しフィルムでのクレジットに関しては、確認できておりません)

 本多監督の戦後の監督助手時代は、東宝以外のさまざまな場所へ出て行って仕事をした時代で、非常に状況が複雑なので、現在少しづつ調べ物をしておりますが、まだまだ中途半端な状態です。
 今後はある程度調査がまとまった時点でまた新しく判明した点があればお知らせする所存ですが、今回は昭和24・25年につき確定できた部分の情報をお知らせした次第です。ご参考になれば幸いです。